原作

こんな夜更けにバナナかよ

こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち

渡辺一史 著

第35回大宅壮一ノンフィクション賞・第25回講談社ノンフィクション賞 ダブル受賞!

自分のことを自分でできない生き方には、尊厳がないのだろうか? 24時間体制の介助が必要な鹿野さんとボランティアたちとの交流を描いた介護・福祉の現場で読み継がれる傑作ノンフィクション!


文春文庫刊/定価:本体880円+税

PROFILE

1968年、名古屋市生まれ。札幌市在住。中学・高校、浪人時代を大阪府で過ごし、1987年、北海道大学入学と同時に札幌市へ移り住む。91年、大学中退後に北海道を拠点とするフリーライターとして活動をはじめ、03年「こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち」を執筆。11年刊「北の無人駅から」でサントリー学芸賞などを受賞

鹿野靖明さん

鹿野さんは、「どんなに重い障害があっても地域で普通に生活したい」という意志を生涯貫いた人だった。1959(昭和34)年12月、札幌市に生まれ、11歳(小学校6年)のとき、進行性筋ジストロフィーという診断を受けた。北海道八雲町にある国立療養所八雲病院(現・国立病院機構八雲病院)の筋ジス病棟に入所したが、家族から遠く離れ、病気の進行がはやい友人たちが次々と亡くなっていく過酷な環境で少年時代を過ごす。
その後、18歳で車いす生活となり、札幌近郊の北広島市にある障害者授産施設(現・就労継続支援施設)に入所。周囲の友人などから、北欧を中心に広がったノーマライゼーションの思想や、アメリカの自立生活運動に触れるうち、23歳のとき、障害者施設を飛び出して自立生活を開始した。しかし、当時は障害者のための在宅福祉制度など皆無に等しい時代であったことから、自ら募集したボランティアたちに、自ら介助の仕方を教えながら、約20年間にわたる綱渡りのような自立生活を続けることになる。
大学生を中心としたボランティアたちは、総勢500名以上におよぶ。多くの若者たちが、ときに鹿野さんとぶつかり合い、葛藤を重ねながらも、鹿野さんの生き方から大きな影響を受けた。2002(平成14)年8月、拡張型心筋症による不整脈のため42歳で死去。

筋ジストロフィーとは?

筋ジストロフィーは、全身の筋力が徐々に衰えていく難病で、根治療法はまだ確立されていない。手や足の筋力だけでなく、内臓の筋力も徐々に衰えるため、呼吸筋の低下に伴って人工呼吸器が必要となる。鹿野さんは35歳のときに気管切開を行い、人工呼吸器を装着した。呼吸器をつけると、気管内に不定期にたまる痰を、かたわらにいる誰かが吸引器という機械で吸引しないと窒息してしまうという困難も負うことになる。
当時、痰の吸引は「医療行為」とみなされており、医師や看護師以外による吸引は事実上、禁じられていた(2012年の法改正で特定の研修を経た介護職は吸引可)。ただし、例外的に本人・家族による吸引は黙認されていたことから、鹿野さんは「ボランティアは僕の家族」と主張することで、呼吸器装着後もボランティアとの自立生活を継続した。